「24時間テレビ」が終わったが、素直に見れない自分がいる~募金は本来どのように使われるべきなのだろうか

ひとことで言うと、偽善を感じているからかも知れない

日本テレビの「24時間テレビ」が終わった。同番組は1978年、「愛は地球を救う」をキャッチフレーズとして、日本各地でチャリティーキャンペーン活動を行う番組として誕生した。

視聴者からの寄付を、国内外の福祉・環境保護・災害復興の支援に役立てる事を目的とした番組だ。

今年はコロナのせいで募金会場が縮小したというが、4億2千万円もの募金が集まったらしい。

蚤野はどうもこうした番組が好きではない。障害者や恵まれない人たちの生活状況をルポすることに違和感を感じている。もしかすると無意識のうちに偽善を感じているのかも知れない。

我々視聴者は、彼らを見て同情する。その同情が募金として現れる。彼らは見世物ではないはずだが、我々は見世物的に見ていないだろうか。

そのような人たちがいることを社会に知ってもらうことに意義があるのかも知れないが、知ったところで彼らは何も変わらない。

募金が社会福祉になるという見方もある。しかし、この募金の使われ方も良く分からない。蚤野の近くにディケアサービスセンターがある。センターの前に、先日、募金で購入された車両が停まっているのを見た。身近なところで募金が生かされていることに感動はしたが、同時に違和感もあった。

そのディケアサービスセンターは民間企業である。全てのディケアサービスセンターに車両が寄付されるのなら公平だが、なぜ、その企業に贈呈されたのだろうか。
本来は会社の資金で購入すべきもののはずだ。営利企業の経費で負担すべきものに募金が使われるのはなぜだろうか。

テレビ局は募金から経費は支出せず、全額を寄付するとのことだが、テレビ局も慈善事業ではない。スポンサーが付いて放送を行っている。すなわち、テレビ局の利益のために障害者等を活用しているということにはならないのだろうか。
募金で社会福祉が充実するなら、それで良いのではないかと言われるだろう。確かにそうだ。そうとも思う。もっと、素朴に、純粋にテレビを見るべきだとは思うのだが、なかなかそうは見れない。

フジテレビに「FNS27時間テレビ」という番組がある。コロナで今年は放映されていないが、1987年に始まったこの番組は、もともと「24時間テレビ」のパロディ版として登場したものだ。「24時間テレビ」が恵まれない人のための募金を募るチャリティー番組であるのに対して、「27時間テレビ」には一切の大義名分がなく、丸一日をかけてお笑いを見せるというのがコンセプトだったのだが、恐らく「24時間テレビ」に対する違和感がこの番組を登場させたのではないかと蚤野は思っている。

毎年、こうした違和感を抱えながら、妻が「24時間テレビ」に熱中している姿を横目て見ている。


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